HOME > SongBook11 > 1501 あのサマリア人のように

  • 詞/曲:中川宗洋 2014

1.あの日わたしには 時間がなくて
 どうしてもしなくちゃいけない仕事があって
 あのひとの傷に 気付いてたけど
 向こう側を通り過ぎてしまったのです
 そしたら心の奥にちいさなとげが
 ささって今でも たまにズキンと痛む
 あの 祭司のように

2.あの日わたしには 勇気がなくて
 面倒に巻き込まれるのが こわくてイヤで
 あのひとの涙に 気付いてたけど
 向こう側を通り過ぎてしまったのです
 そしたら心の奥にちいさなとげが
 ささって今でも たまにズキンと痛む
 あの レビ人のように

3.こんなわたしでも いつかなりたい
 傷ついてる人がいたら 迷わず こわがらず
 走り寄って傷に 持ってる水 注ぎ
 その痛みをやさしく手で包める人に
 涙流してる人がいたら その手を
 にぎって一緒に 涙流せる人に
 あの サマリア人のように

□ 作者より
2010年の「これさん合宿」に参加した際、今後作っていく歌のコンセプトについてみんなで話をしていて、「良きサマリア人の話の、祭司やレビ人の視点からの歌って無いよね」という意見が出ました。その時、ぼんやりとしたイメージは浮かんだのですが、そのまま形にならないままで終わってしまっていました。
そして2011年3月11日、東日本大震災が発生しました。僕が住む茨城県でも大きな被害が発生しました。しかし、TV に映し出された東北の映像は、それとは比較にならない、言葉を失う光景でした。でも、僕がまず取り組まなければいけなかったのは「自分と家族の生活の維持」と「勤務している会社の業務再稼働」でした。もちろんそれは、当時の自分にとって「どうしてもしなくちゃいけない仕事」でした。しかし、津波で家や財産を失い、家族や友人を失い、避難所での生活に疲弊しきった方々に対して、それを理由にボランティアに行けないというのは、言い訳にしか過ぎないことも、心の奥で感じていました。
良きサマリア人の話をする際、祭司やレビ人は「普段は偉そうなことを語っているのに、傷ついた旅人に関わることを避けた、口先だけの臆病な人」といったイメージで語られることが多いように思います。しかし、東北にすぐに行けなかった自分と、祭司やレビ人の姿を重ね合わせた時、「祭司やレビ人はその後、何年も何年も、もしかしたら一生、あの旅人を見殺しにしてしまったことを思い出しては、後悔していたのではないか」と思うようになりました。
その後も、各地で様々な自然災害が発生しました。またこれを書いている現在、沖縄の辺野古や高江では、米軍基地建設工事が強制的に進められています。そして、現場の状況をTV やインターネットで見て知っていながら、その場に駆け付けることのできない自分がいます。痛みや寂しさの中にいる人が身近にいることがわかっていて、関われない自分がいます。もちろん、自分が持っている時間もお金も体力も限界があるので、全てに関わることは不可能です。でも、関われないことを責める歌ではなく、ほんの少しでも自分にできることを探して行動してみようという気持ちになれる歌を目指して、試行錯誤しながら言葉を選んで作りました。(中川宗洋)

□ 歌い方のポイント
1番と2番は、普段の自分の生き方を思い起こしつつ、静かに淡々と歌うイメージです。3番は、「自分にとっての“持ってる水”って何だろう?」とか考えつつ、自分を励ますつもりでやや力強く歌ってください。(中川宗洋)

●(サンプル音源は準備中です。しばらくお待ちください)