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  • 詞/曲:森 なお 2007

1. 僕は死んだら風になる 昨日の映画に涙して
  二人語り合った朝
  ねぇわたし死んだら何になろう お互いに決めておこうね
  じゃあわたしは森になる わたしは桜
  でも死んだらいやだよ 他愛ない日常のいとおしさ

2. わたしは死んだらパンになる そしてワインになるからと
  仲間たちに告げた夜
  あぁどれほど苦しかっただろう 想像すらもできません
  胸がつぶれそうになる 死を覚悟して
  でも立ち尽くすなんて 断ち切られた日常の残酷さ

3.「彼が死んだら成就する わたしの罪を許すため
  救い主は十字架に
  おぉ神様に感謝します!」 そんな風には言えません
  違う! 彼は殺されたんだ よってたかって
  でもわたしもその一人 忘れ去る日常のいやらしさ

4. わたしは死んだらパンになる そしてワインになるからと
  仲間たちに告げた夜
  あぁその彼の言葉から 人を隔てて切り捨てる
  力が生まれてしまうなんて それが人の世
  でもそんなのいやだよ 迫り来る日常の息苦しさ

5. 彼は死んでも生きている 世界の隅々のガリラヤで
  今も同じ息づかい
  この世界のきしみにあえぎつつ 立ち上がる人々の中に
  何度切り捨てられても 殺されたとしても
  でも風は吹き続ける 繰り返す日常をゆさぶって



□ 作者より
「千の風になって」、というあのうたは衝撃でした。映画「ボクカノ」で主人公が同じ台詞を口にするのを観て、わたしらは何になる? なんて交わした他愛のない会話が愛おしくて。だからそんな日常が断ち切られてしまうことの、とんでもなさを思います。
あなたたちが受けるのは贖罪的な苦しみである、と投獄されていく仲間たちにキング牧師は言いました。人種差別という罪から人類を贖うための苦しみだからです。その苦しみを前にしてなすべきは、悔い改めと謝罪であって、決して感謝などではないはずです。
被差別のガリラヤで最底辺に生き、そしてひねりつぶされていった人の死が、このわたしと無関係でないことは断固として信じますが、その壮絶な死を尊い犠牲として祭り上げたりしたくありません。死なせておいて感謝するなんて、そんなのとってもヤスクニだ、とつい先日ある聖餐についての学習会で教えられました。
排除され尽くして殺されていった人が、最後に仲間たちと共にした形見の食卓に連なり、その血肉を自らのものとし、その死と向き合って自らの罪深さを思い、その人の遺した風を自らの息づかいとして、その人を自らのうちに生かし続ける。
そんなことであったはずの営みが、「排除と同化」の仕組みに化けてしまう。人間ってつくづく罪深い生き物なのだと思わされます。(森なお)

□ 歌い方のポイント
このうたは、わたしの信仰告白です。だから、皆さんご一緒になんて、傲慢なことです。ほな、いつどこでどんなふうに歌うたらええねん。ごもっともです。特に1節は、このうたが生まれるきっかけではあったのですが、いわば「私事」です。それと4節も「降りてきた」このうたを書き留めておかなくてはと思ったモチベーションではあったのですが、ちとピンポイントに過ぎるかもしれません(キーワード、「退任勧告」とか)。括弧に入れているのはそんなわけです。皆さんでうたっていただくときには適当に省くなどしてください。(森なお)


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