1401 祈りではないか
- 詞:荒瀬牧彦
- 曲:川上 盾
- 以前、両親が原町(現南相馬市)に住んでいたことがあり、その頃は東京から車で、まだ小さかったこどもたちを連れて度々遊びに行きました。国道6号で走り抜けた懐かしい浜通りの町々です。しかし今、人が暮らせなくなった町の通りに、飼う者を失った牛たちがさまよっている・・・。あまりに衝撃的な映像でした。
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1402 大きなゾウも 小さなアリも
- 詞/曲:松本あかね
- 2012年京都葵教会でCS クリスマス会で行った劇は「靴屋のマルチン」でした。若き神学生が誠実なマルチンさんを好演してくれました。この曲はエンディングで出演者一同が歌った歌です。「もっとも小さき者にしたことは私にしてくれたことと同じだ」というイエス様の言葉をイメージして作りました。
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1403 未来を信じて
- 詞:山形学院高校 2012年度 食物調理科3年
- 曲:川上 盾 2013
- 前作「果てしない未来へ」を受けて、下級生からある声が出てきました。それは……「先生、自分たちも賛美歌作りたいです!」。今回は、3クラスの合作。3クラスそれぞれにテーマを定めました。本校の校訓である「信」「望」「愛」。3節の歌詞の中から、それぞれのテーマを受け取ってもらえたら幸いです。
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1404 みんなのキャンプ (キャンプ最終日のうた)
- 詞/曲:川上 盾
- 神戸YMCAの所有する余島キャンプ場。東神戸教会の毎年のCSキャンプ会場でもあります。フェリーで3時間の小豆島から、さらに渡し船に乗って渡る小さな小島。でも一般のお客さんが入ってくることはないので、とても充実した海のキャンプを楽しむことができます。そのキャンプ場の標語が“人と出会い、神と交わり、愛の火の燃えるところ”。余島キャンプ場を開拓し、長年にわたり神戸YMCAの活動を担って来られた、今井鎮雄さん(東神戸教会員)考案の言葉です。
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1405 あなたの言葉は
- 詞:山口里子
- 曲:平良愛香、鈴木英司
- ライアン・レン(Brian Wren)という牧師・神学者・詩人が、とても長い題の本を書きました。『どんな言葉を借りよう? 神を語る礼拝で:フェミニスト神学への一人の男の応答』(1989)。レンは、言葉が持つ力の大きさを知っています。そして、今の社会も教会も、男中心の考え方を再生産する言葉に溢れていると気づきました。レンの賛美歌は『讃美歌21』にも入れられていますが、彼が意図的に避けた「主」という言葉が日本語版では使われていて、とても残念です。日本語の賛美歌で私が気になるのは、新しいものでも、全体にイエス・キリストが主役で、神のイメージが余計に男に偏って狭められていること。神は男言葉で語り、私たちのことは「ボク」が使われて、男中心の表現が当たり前のようになっていること。それで、神のことも、神と人の関係も、新しいイメージで思い描ける賛美歌が沢山欲しいと思います。
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1406 うまごやのおきゃくさま
- 詞:片山幹子
- 曲:柾野武張
- 『クリスマスの12日』という歌をヒントに、歌詞を書いてみました。パネルシアターを前提に書いたものなので、一緒に楽しんでいただけるとうれしいです。パネルシアターとして、練習なしでもできる、ちょっとした出し物にも使っていただけると思います。
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1407 マナのうた
- 詞/曲:川上 盾
- 「砂漠の苦難の中でも神さまのお守りがある物語」という意味ではいくつかの賛美歌にも歌われてます(例:讃美歌21-343「わがゆくみち」)。でも次の日の分を欲張った人は腐って食べられなかった、というポイントを含んだ歌は無かったのではないでしょうか。「イスラエルの家では、それをマナと名付けた。それは、コエンドロの種に似て白く、蜜の入ったウェファースのような味がした。」
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1408 さぁ あつまろう なかまたち
- 詞/曲:松本あかね
- 2013年京都葵教会のキャンプソングです。キャンプテーマは「つながろう」~主イエスとともに」聖書の箇所は「私はブドウの木あなたがたはその枝である」です。イエス様の大きな幹にみんなで繋がりあおう、という喜びを表現しました。当時新しい牧師先生を迎えて間もないキャンプだったので、その喜びも盛り込みました。
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1409 主の祈り
- 原詞:〔主の祈り〕
- 曲:川上 盾
- 1994年ごろ、『教師の友』誌上で「主の祈りの歌を作ろう」という特集記事が掲載されていました。何人かの作曲された主の祈りが紹介されていました(沢知恵さんの作品もありました)。その特集記事に刺激を受けてメロディを付けたものです。
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1410 かみさまのれいは
- 詞:小見のぞみ
- 曲:川上ゆり子
- 「神さまの霊は、自由な風」このフレーズは、クリスマスのマリアへの受胎告知を語るとき、いつも思い起こす表現です。神さまの霊はわたしたちには不思議で、けれどもひとりひとりに、そしてマリアに働きかける本当に自由な神さまの想い・・・なんだと。 「目には見えないけれど確かにあるもの」が、私たちの心、身体、そして行動に働きかけ動かして下さることを感じつつ歌える“さんびか”になればいいと思います。
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1411 この子どもたちが未来を信じ
- 詞:Douglas Clark Hope for children
- ??曲:富山県民謡 KOKIRIKO
- 『讃美歌21』が発刊される前段階として、『改訂讃美歌試用版』が出版されました。その中に、曲がついておらず歌詞だけのものがいくつかありました。そのひとつが『この子どもたちが未来を信じ』です。以前から「外国民謡の賛美歌はあるのに、なぜ日本民謡の賛美歌はないのだろう?」という思いを持っていたので、日本民謡のメロディを次々あてはめてみました。すると富山県民謡の「コキリコ節」がピッタリとはまりました。。「これはいい!」。喜び勇んで楽譜に起こし、教団出版局に「こんな曲をつけてみました!」と送りました。残念ながら、翌年発行された『讃美歌21』を見ると、あの歌詞に別のメロディがつけられたものが掲載されていました・・・
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1412 何ゆえわたしは生まれてきたのか (証しの歌)
- 詞/曲:河瀬はる
- 自分の証しを歌にしておこうと思って作った歌の1つがこの曲です。2節と3節には、イエス様がお語りくださったみ言葉を、与えられた順に引用しています。1節の「肉体の棘(とげ)」は、私自身の先天性視覚障害のことです。
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